義の太陽が昇る
義の太陽が昇る
木々のつぼみに、道端に咲く花に、春の訪れの近さを感じる季節になりました。
春の日差しを浴びていると、イソップ童話の「北風と太陽」を思い出します。北風が、旅人の上着を力ずくで剥ぎ取ろうと吹きつけても、彼の上着を脱がせることはできませんでしたが、太陽が昇り、あたたかな日差しを注ぐと、旅人は自分から上着を脱ぎました。
外部からの圧力や操作で人の心を変えることはできません。しかし、誰かの優しさやあたたかさに触れたとき、変えようと思っても変えることの出来なかった心が作り変えられていく、そんな経験をさせられることが確かにあるのです。
しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには、義の太陽が昇る。
その翼にはいやす力がある。
あなたたちは牛舎の子牛のように、躍り出て跳び回る。
<旧約聖書・マラキ書3章20節 新共同訳>
マラキ書の「義の太陽」とは、救い主が与えられる約束の預言です。
義の太陽であるイエス様がわたしたちの人生にあたたかな日差しを注がれるとき、私たちの傷や悩みは癒されるという約束です。
厳しい冬の最中にあるとき、その約束を信じることは難しいかもしれません。しかし、空けない夜はなく、終わらない冬はないように、神様は約束されたことを必ず実現されるのだということを心の希望として歩んでゆきたいと願っています。
あなたの人生に、イエス様のあたたかい日差しが届きますように。
*檜原村の払沢の滝です。真冬には氷結するそうですが、春が近づき、勢いよく水が流れていました。
セブンスデー・アドベンチスト八王子キリスト教会 牧師:伊藤 滋